季節と心変わりに敏感でいたい、幸せと君の一番に貪欲でありたい、言語化と文明化を厭わない

人生の目標(2023年2月時点)

ご無沙汰もご無沙汰。まだまだ変な喋り方が抜けない。適当に喋っても、一生懸命喋っても分かってくれる、解ってくれる、判ってくれる人とする大お喋りと、その余韻に浸り続けた2泊3日でした。このタイミングでこの人に会えて良かったと思うような夜ばかり。この人生は上手くできている。

ちゃんとその時々にその土地土地で思った感情をちゃんと書き留めておかないと…一晩寝たら良い事も悪い事も一緒くたになって忘れちゃうタイプだから…と思いながら寝て起きたら、本当にすっきり気持ちの良い朝を迎えてしまって、あんなにうんうん何を考えたらいいんだろうと考えながら寝たのに不思議。この身体は上手くできている。

残った煮凝りだけが私の本当の気持ちなのかもしれないなと思って一生懸命噛み砕きながら書き留めたい。

もっと人の幸せを上手に祈れるようになりたい。ちょうどいい距離で、ちょうどいい温度感で、アチアチになっちゃったらトランスしちゃうだけで、全部分からなくなる上に、ついでに勝手に自分の気持ちまで見失ったりして自分にびっくりする。たまたまちょうどいいテンポで自分のコマを進めていけてるのは、結局パワープレイとラッキー顔だけで乗り切ってるだけだもんね〜と思う。

ちょっとコントローラー貸してよと言いたい時もあるけど、一回私のベトベトの手で触ったらもう責任持って最後までクリアしないとと思っちゃうかもしれないから、そんな無責任なことはできないから、Aボタン!いやBボタン!↑+Aは?と今見えてる画面だけを見ながら、口々に言うしかできないものか、私の手書きのメモでは自分すら心許ないから、公式の攻略本の発売を待つしかない。

そんなことを勝手に考えてみても、やっぱり何より慢心が大敵。本当のラスボスはまだまだこれから現れるよ。油断した頃が狙われ目よ。ちゃんと向き合って戦わないと、身体だってブクブク太り過ぎないように、プランクとスクワットを復活させて備えておかないと。

心のリセット癖は抜けない。全部別名保存してあるから無意味なのにね。

寂しいのびの字あたりで

昨年の秋は本当に寂しかった。この歳になって感じる寂しさというのは本当にしつこくて嫌だ。

ずっと一人でいるとすぐ寂しくなるし、でも誰かといた方がかえって余計に寂しくなったりもするし、うまくいった寂しくないぞしめしめと思っても別れた後の反動でグッとより寂しくなったりするし、一時期どうしようもなかった。(2週間くらいで慣れて一人暮らしを満喫したりもしたけど)

大人なんだから自分で自分の機嫌を取らないと!と言ったりするけど、「寂しさを自分で埋められる」というのもスマートなアダルトの必須項目だなと思う。

あとみんな少しずつ大人になっていく。そうすると、もしかしたらずっとは友達でいられないのかもなと、冷たいけれどふと俯瞰的に思ったりもする。一生、大人になっても、子供ができても、離れ離れでも、ベストフレンドフォーエバーでいてくれるかな。疎遠というものはいつどこからやってくるのだろう。大人特権で一緒にいたいと思える人は自分の意思で概ね決められるのだから、今友達でいてくれる友達とはずっと友達でいたいな。

そうだ老後の楽しみだって今のうちから見つけておかないと。なんでもないバラエティでふふふと笑って、たまにしょうもない悪口で盛り上がって、お先にと声を掛け合うようなサウナコミュニティに入りたいな。もしかしたら名前も知らないままかもしれないけれど。それが晩年の夢。

iPhoneのバックアップ中の手持ち無沙汰を捧げて。

ソファにはコート、枕元にね本

今更ながら吉本ばななの「キッチン」を買った。大事に大事に読もうと思いながらまだ枕元に置かれたまま。

いかにも、というものに改めて魅力を感じるようになってきた。いかにも好きそうな音楽、喫茶、間隔、文章、人柄、景色、気温、服装、会話。

今更ながらカーキのキルティングコートを買った。同じく今更ながら触手の太いマフラーも買った。

マフラーが欲しくて街にでたら、とても感じの良い店員さんで、ビジネス方言を使うところが私に似ていて、その人にそのマフラーはこのコートに合いますよと勧められて、言われるがままに着せられ巻かれ、本当にマフラーとコートが合っていた。ついでに私にもきっと似合っていた。

大人になるにつれて財布の紐は緩くなり、気持ちのいい接客やいいなと思う表現にお金を使いたいと思うようになってきた。消費者行動にとても素直。

そして一周流行りきったものが好き。みんなが好きだったものなんて私も好き。人が好きなものをそれが理由で好きじゃなくなる人のことよく分からない。

今更ながらな人に会った。

今更ながらあの日の写真を送った。

今更ながらその気持ちを思い出した。

でも今更なんてことは本当はなくて、今更だと思うような今があるばかりだと思うことにした。

今の自分がいつだって一番好きだと言っている自分が好き。

 

ウルトラライトラブ

珍しく下書きからではなく、まっさらな気持ちで、いちから書き上げるタイプの文章です。

ほろよいりんごが美味しくて、3%の力を借りていざ!

置いてけぼりのハイボールをようやく飲みました。自分では買わないけどハイボール、美味しいなと初めて思いました。また誰かが買ったり頼んだりしたのを一口だけ飲むにはぴったりの味かもしれない。

寂しくって嫌になる!淋しいの方がしっくりくるか。寒くて寒くて、思い出はいつもきれいなのに、それだけじゃペラペラのコートで、秋はそれでもよかったけど、冬を迎え撃つには心許ないです。大きな声でそばかすを歌いたい。

いつ何時だって一人でちゃんと生きられる女でいたいのに、時たま自分の無力さを感じます。

でも何か他のもので埋めたりしちゃいけない穴。ちゃんとまっすぐその穴ともあなたとも向き合わないといけないな。

恋をするたび、人間は結局最後は一人だよな〜と思い知らされる気がする。11月はずっと恋愛のことばかり考えていたな。いつかそれもきっとうまくまるっとまとめたい。

人の恋の始まりと終わりの話をたくさん聞いて、心を慰めるなどしました。誰かのときめきを借りて温まりたい。借りてきたときめき。その節はどうもありがとう。恋愛の話を臆せずしてくれる友達は最高。

最近は懐かしい人にたくさん出会って、たくさん元気を貰ったはずなのに、その反動で余計にぽっかりしちゃったり…いやいや、貰った元気とお土産を大事に少しずつ食べて生きていきます。

冬はまだまだこれからだ。ウルトラライトダウンは最強だ。私のことも軽く愛して欲しいと思ったりもするけど、脱いだあとがとても寒いから、やっぱりお鍋を食べたり走ったりサウナに行ったりして満たされることにする。どうぞお身体ご自愛ください。

草に寝転ぶあなたが好きだったの

嬉しい話と悲しい話がありまして、

まず嬉しい話から、毎日秋で最高!秋を秋だと認識する行為が歳を重ねるごとに上手になってきて、これは青春とかも同じくくりの話です。今が一番だよと思える気持ちをずっと大切にしていたい。

 

悲しい話の方は、大好きな人と物理的に離れ離れになっちゃって、簡単には会えない日々です。

 

離れがたくはあるけれど

離れてしまえばそれはそれで

あとは毎日楽しい約束を電話でしよう

柴田聡子さんの歌詞みたいでそれはちょっと嬉しい。

 

出発の朝には空港で守ってあげたいを聴いて、木綿のハンカチーフも1人でたくさん歌って、「いっぱい映画も見るって約束したじゃない〜あなた約束したじゃない〜会いたい〜」もすごく染み入る。お別れソングは名曲が多いということに気が付けた。

 

これからの長い人生でたった2ヶ月だよと励ましてくれたのがとっても嬉しくてそれを心の拠り所にしている。と言いながらも実は意外とはじめての一人暮らしを満喫していて、友達と会う約束をたくさんしたり、狂ったように毎日同じものを食べたり、私は私で楽しく生きられる私でありたいという心持ち。

 

布団の中と空港のデッキで、薬指の太さをビニール紐とマジックペンを駆使して2回も測ってくれていたから、星のダイヤと海に眠る真珠のついた都会で流行りの指輪を持って、帰ってくるに違いない。千葉はちょっとだけ遠いけど、クリスマスはすぐそこ。

ジェネリックハピネス

こちらは二の足を踏んでばかりです。

歩き慣れた道だけを進む日々はそれなりに、ではあるけれど、このままきっとどこにも行けないなという不安感がつきまとう。4年間で2度ほど人生の転機っぽいものを逃した気がする。

やなせたかし先生の言葉を借りて恐縮ですが、もうまったく何のために生まれて何をして生きるのかわからないという日がある。

かと思えば、目の前の仕事に必死になれる瞬間だってあって、今すぐこれをしよう、絶対あれもがんばろうと思える時がある。

やっぱり最後は文章を書くことを仕事にしたいとふんわりと思っている。今更だけど誰かの言葉を伝えたいわけではなかった。だからと言って何かを生み出せるのか、そんな自信も到底なくて、踏みっぱなしの二の足だけが立派です。

大好きな人と毎日楽しくいられたらそれで良いのにそういうことがやっぱり一番難しい。もう大人なんだから、ライフステージはそんなに簡単には変わってくれないから、小さな目標を積み上げながら進んでいくしかないなという心持ち。どんな形でも、結婚式のペーパーアイテの端くれでもいいから「全部、昨日見るはずだった夢」という本をいつか出したい。

季節の変わり目ですが心変わりないですか

苦手だな〜と思っていたものがそうでもなかったとき、すごく幸せな気持ちになれた。

できれば嫌なことは避けたい。

少し前までの私は「若いうちは苦労するべきだ」とか「大変なことも歯を食いしばって乗り越えるべきだ」と思っていたけど今はとんでもない。お金をもらっても無理はしたくない。

あんまり好きじゃなかったあの子も、実はめんどくさく生きているだけで、それは私もあの子も同じだと思えば全部愛せるような気がしている。

私たちに足りなかったものはちょうどいい距離感だったのかもしれない。

と思っていたけどやはり許せないこともごまんとあるのだなとも思う。「ごまん」の表記は「五万」が正しいのかなと思って調べてみたけどどちらでもいいみたい。これは現代っ子あるあるだと思うけど、PCに向かっているのについ調べものをスマホでしてしまう。私に答えをくれるのはいつだってスマホ

「あれまだこの話してないっけ?」ということがたまにあって、4年4ヶ月も一緒にいるのに、まだまだ興奮冷めやらぬ好きを続けている。

だからやっぱりこの人とずっと一緒にいられる人生をいつだって選び取りたいと思う。

付き合ってすぐくらいの頃は「まだお試し期間だから嫌になったら言ってね〜」とヘラヘラ言っていたような気がする。もちろん嫌になってもらう気なんてこれっぽっちもなくて(←自尊心)大人の余裕と茶目っ気をアピールするために(?)

初めての記念日には「1年経ったけど契約延長しますか?」みたいな寒い話もした気がする。「今なら乗り換え割が効きますよ〜」と新社会人になった今春はそんなことを言った。

今年も同じような季節が過ぎていく。心変わりの相手には何度でも私を選んで欲しい。